ブランド牛の歴史|誕生した時代・経緯やルーツをまとめてみた!
このページではブランド牛の歴史について分かりやすく解説しています。
- ブランド牛の歴史について知りたい
- ブランド牛が一般的になったのっていつ頃?
- ブランド牛のルーツってどうなってるの?
というあなたのお役になれれば幸いです。
ブランド牛の歴史を解説!
ひとことでブランド牛といっても、歴史が古いものから新しいものまで色々あります。
ここでは歴史をさかのぼり、ブランド牛はいつ頃からいたのか、そしてどのようにして広まってきたのか。
そのことについて、時代を追って説明していきます!
1000年以上前から存在するブランド牛もある
歴史が古いブランド牛だと、但馬牛は1000年以上前から存在していたと言われています。
といっても1000年以上前なので今と同じ名前ではありませんし、当たり前に食べられていたわけでもありません。
日本では古来、牛のことを
牛は食用ではなく田畑を耕す
車を引かせて移動に使う
など「役牛」として扱ってきました。
基本的には生活のために必要な動力だったんですね。
つまり生きていくうえで大切なパートナーなので、「食べるなんてとんでもない!」という存在だったわけです。
江戸時代に一部で食べられていたブランド牛
一方で食用としてのブランド牛はどうかというと、近江牛は江戸時代に食べられていた記録が残っています。
とはいえ一般的な食事としてでなく、味噌漬けにして「養生薬」として将軍家に献上されていたとされています。
養生というのは病気から回復することなので、つまり栄養不足を補って健康を促進するための薬として扱われていたということです。
もちろん庶民も事故で牛が死んでしまった場合は食べていたかもしれませんが、まだ食用に肥育された牛を食べる習慣はありませんでした。
和牛が生まれた明治時代
時代が変わって明治以降になると、
- 農業技術が進んで農作業に機械が導入された
- 牛肉ブームが起こっていた
こともあって国は牛を肉牛として系統を整理しはじめ、和牛が登場します。
こうして徐々に日本で牛肉を食べる文化が浸透していき、同時に全国の優れた肉質を持つ牛に注目が集まりはじめます。
和牛のブランド化が進む昭和期
大正から昭和の初期ごろになると発達したメディアを通じて、松阪牛など今ではおなじみになっているブランド牛が話題になっていきます。
そういった流れの中、1991年にブランド牛が普及する大きなきっかけとなる出来事が起こります。
それは牛肉の輸入自由化。
牛肉の輸入自由化によってアメリカやオーストラリアから安価な牛肉が入ってくるようになり、和牛は窮地に立たされることになります。
打開策としてはより安い牛肉を販売するか、高級路線でいくかのどちらか。
当時はバブル期という時代的な背景もあって、質を追求した高級路線を取ります。
海外から入ってくるリーズナブルな牛肉に対して、品質を高めることで差別化する策を取ったんですね。
こうして和牛のブランド化は進んでいき、「ブランド牛」の呼び名が定着していきました。
ここまで
- ブランド牛がいつ頃から存在していたのか
- ブランド牛が一般的に知られるようになった経緯
を解説しました。
では、松阪牛や神戸牛など個々のブランド牛にはどういった歴史があるのでしょう。
次はそのことについて見ていこうと思います!
日本三大和牛の歴史
ブランド牛といっても全国には250種類以上存在します。
さすがにすべてのブランド牛の歴史は追いきれないので、ここでは日本三大和牛と呼ばれるブランド牛に絞って見ていこうと思います。
まずはブランド牛として特に高い知名度を誇る、松阪牛から順に見ていきましょう!
松阪牛
松阪牛が知られ始めたのは大正から昭和初期にかけてだと言われています。
というのもちょうどこの時期に、
- 伊勢神宮への参宮途中で、松阪牛を食べる参宮客が増えたことでその噂が広がった。
- 1935年には東京で開かれた全国肉用畜産博覧会で優勝し、知名度が高まった。
ことが要因だと考えられます。
その後1958年に松阪肉牛協会が創設され、定義がつくられました。
神戸牛
明治時代の神戸開港当時、日本を訪れたイギリス人が食べその味を気に入ったのが始まりだと言われています。
その後、1983年に神戸肉流通推進協議会が創設されて定義がつくられ、2012年には輸出も解禁。
ご存知の通り、現在では世界的な人気を誇っています。
前沢牛
1970年代から岩手県で出荷がはじまりましたが、当初はあまり出来がよくなかったようです。
種牛に兵庫牛、繁殖牛に島根牛を採用し、さらに出荷した枝肉の情報がフィードバックされる独自体制の構築、また生産者同士の交流することで急ピッチで改良が進みました。
その後1980年代には全国肉用牛枝肉共励会で名誉賞を獲得したのをかわきりに、以降も同賞を6回受賞するなど一気に全国的なブランド牛に成長しました。
近江牛
江戸時代に近江の国(現在の滋賀県)で近江牛のもととなる「彦根牛」の存在が確認されています。
当時は養生食として牛肉の味噌漬けを生産し、徳川将軍家にも献上されていたようです。
歴史の長さで言えば、日本三大ブランド牛の中で最古の400年。
ただブランド化が本格化したのは1951年以降、さらに定義が明確されたのは2005年と結構最近の話だったりします。
米沢牛
明治時代、米沢藩(現在の山形県)の藩校「興譲館」で英語教師をしていたイギリス人のチャールス・ヘンリー・ダラスが、任期満了後、居留地の横浜に一頭の牛を持ち帰りました。
持ち帰った牛を友人に振る舞うと反応が良かったため、米沢の仲買人と横浜の肉問屋を繋ぎ、「米沢牛」として販売させたのをきっかけに認知が広まったと言われています。
このように日本三大和牛だけを見ても、誕生した時期や知られるようになっていった経緯、定義が作られたタイミングはそれぞれ違います。
そして何より礎を築いた生産者や、生産者を支える方々がの尽力なくしては今日のブランド牛はなかったでしょう。
さてでは古いもので400年前から存在するブランド牛が、日本全国で広く知られるようになったのはいつ頃の話なのでしょうか。
次はその点を掘り下げて行こうと思います!
和牛の窮地を救ったブランド牛「但馬牛」
すでにお伝えしてきたように、ブランド牛が普及する大きなきっかけとなったのは、1991年の牛肉の輸入自由化です。
海外に入ってくる安い輸入牛肉に対抗するため、高級路線を取ったからでしたね。
では畜産農家はどのようにして牛の品質を上げたのでしょう。
ここで注目されたのが外来育種との交配を拒んで純血を守っていた黒毛和種。
圧倒的に良質な肉質を誇っていた但馬牛でした。
日本全国から但馬牛との品種改良のオファーが殺到し、結果として但馬牛の特徴でもあるサシがしっかり入った肉質の牛が増えていきます。
そういった意味で、日本各地に存在する黒毛和種のブランド牛は但馬牛がルーツと言えます。
ではそんな但馬牛は具体的にはどんな牛なのでしょうか?
以下ではその点を掘り下げていきます!
但馬牛を詳しく解説!
上記でお話した通り、但馬牛は和牛の高級路線化にあたって注目されました。
そんな但馬牛とは、一体どんな牛なのでしょう。
以下では歴史をたどり、古代から中世に遡って紐解いて行きます。
平安時代から江戸時代にかけての但馬牛
但馬牛は少し褐色の混じった体毛を持っていて、体格は小柄という外見的特徴を持っています。
名前にも含まれる「但馬」というのは、かつて但馬国と言われていた地域のことで、現在で言う兵庫県北部、豊岡市、美方郡のあたりが主産地です。
古くからその活躍が記録として残されており、鎌倉時代に書かれた牛の図鑑「国牛十図」にも、引き締まった体躯や毛並みや皮膚の質の高さが記載されています。
そのほかにも平安時代では貴族の牛車、また江戸時代には大阪城建築に貢献するなど、人々の生活を支えてきたと伝えられています。
ただこの時代は、まだ牛肉を食べることが一般的ではありませんでした。
あくまで牛は田んぼや畑を耕すなど農業をやっていくうえで大切なパートナーとして考えられており、但馬牛が肉牛として注目されるようになるのは昭和以降の話です。
但馬牛メジャー化の功労者「前田周助」
そんな但馬牛の名を広く知らしめた立役者となったのは、江戸末期から明治にかけて畜産家として活動した前田周助。
前田氏は自らの目利きで選んだ但馬牛の中から、特に優れた牛同士を近親交配しその性質を固定させました。
これによって優秀な性質を持っている但馬牛が一つの系統にできるようになります。
ちなみにこの現象が植物の蔓(つる)の特性に似ているため、前田氏の創り出した系統は「周助蔓」と呼ばれるようになりました。
こうして優秀な但馬牛を安定して生産できるようになり、但馬牛の名声は高まっていきます。
現代でも周助蔓の血は受け継がれており、2012年には驚きの調査結果が公表されています。
黒毛和牛の母牛のうち99.9%は同じ種牛が先祖?!
2012年には社団法人全国和牛登録協会の調査により、黒毛和牛の母牛のうち99.9%が同じ種牛を先祖に持っていることが分かりました。
その牛の名は、但馬牛の「田尻号」と言います。
田尻号は1939年に誕生し、「あつた蔓」という周助蔓をもとに改良された血統の牛です。
恵まれた血統を持って生まれた田尻号は繁殖力が高く、肉質を伝える遺伝能力も優れていました。
子供の数は雄と雌を合わせてなんと1463頭!
雄の子供のなかには種牛として活躍した牛も多く、父子ともに黒毛和牛の育種改良に大きく貢献しました。
このように但馬牛には1000年以上前から存在し農業や建築、交通手段として重宝されていた歴史があり、また優れた繁殖力と遺伝能力を活かして黒毛和牛の育種改良にも多大な貢献をしてきた、ブランド牛の歴史を語る上で欠かせない牛です。
まとめ
このページでは、ブランド牛の歴史と、そのルーツのひとつである但馬牛について解説してきました。
まとめると
- 最古の日本三大和牛は近江牛
- 牛肉のブランド化が進んだのは1991年の輸入自由化がきっかけ
- ブランド化にあたって注目されたのが純血種の但馬牛
- 但馬牛は1000年以上前から優秀さが評価されている
- 但馬牛は黒毛和牛の育種改良に大きく貢献した
という感じです。
当たり前ですが、ブランド牛の歴史を知ったところで食べるお肉の味が変わらないでしょう。
でもお酒や食事の席で話のネタとしては、楽しい時間を盛り上げるスパイスとして使えるかもしれません(笑)
機会があれば、ぜひ肉好きのうんちくとして披露してみてください!
当サイトでは、高品質で人気のブランド牛を安心して購入できるネット通販サイトをランキング形式で紹介しています。
- 記念日や季節の贈り物にブランド牛を贈りたい
- パーティーの目玉メニューにブランド牛を出したい
といった方はぜひ参考にしていただければと思います。